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「雑草」という名の雑草。

「雑草という草などない」とおっしゃったのは昭和天皇だったか。

雑草を黙々と鎌で刈っていると反対にいろいろな妄想がモクモクと生えてくる。
そもそも雑草を刈るという作業は、経済的になにかを生み出す訳ではない。
雪国の雪かきと同じようなものか。雪はヘタをすれば命に関わることもあるが
雑草を生やし放題にしたからといって、命に関わることはなさそうだ。
髪の毛にも似ている。あんまり伸ばしすぎると社会的にいろいろ言われたりして
面倒くさいことが多い。

草刈りは昔からどこでもやられてきたことだと思うが
草を刈る人は何を考えているか、調べた人はいるのだろうか。

国の所有する河川の土手などの草刈りは別にして、自宅や近隣の草刈りなどを
進んで行うような人が意外に少なくない。日本人の気質なのかもしれないが、
対価のない労働、つまりは純粋労働であることに体が自然と喜んでしまう、というところに
実は重要なことが隠されているように思う。

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雑草にもいろいろある。雑草と向き合っていると気持ちがほぐれる。
「刈る」という行為を介してしか雑草と向き合えないのもなんだかヘンな感じだが。

リハビリという名の列車。

201005_130

タイトルに意味はないです。

「欲望という名の列車」という映画のタイトルが好きなもので。
この映画、観たことないのですが。面白いですか?

今日は朝イチのリハビリ後、帰ってきたら長男の幼稚園行きたくない病と格闘、
午後なんとか行く気にさせて同行、おそい昼食を園の飼育小屋の脇で
一緒に食べたりなんかしていたら、もう仕事する時間などなく。
敵は本能寺にあり(これも意味なし)。

まあ、骨折した時点でいろいろなことをあきらめたりもしたのですが
コドモのいろいろをあきらめるわけにもいかず。

リハビリも、急に結果を求めても体が悲鳴を上げるだけで
どうにもならず。やはりここはプロに任せてじっくりと。
一日おきで通うようにしています。
今週はおかげでだいぶ動くようになってきた。
反動ですこし痛むときもあるけど。

友人たちの活躍ぶりを知らされるたびに
自分は何やってんだろ、と思うけれど
まぁいまはしようがないのかな。
というかずっとそうなのかもしれないけど。

幼稚園でどんぐりから生えた「小さな木」をもらった。
これからすこしづつ大きくなっていくのだろう。
枯れる事だってあるだろう。
そんなかんじで考えることにした。


(調べたら、欲望という名の「電車」だった・・・。
列車のほうが響きがかっこいいと思うのだが。
まあいいか。)

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