« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

余韻。

柳宗悦展。

沖縄糸満の漁師が使っていたという、海水をかき出す道具。
素朴ですぱっと切れのある造形に目を奪われる。

アイヌ独特の文様が施された木綿の衣裳。
本などでは見ていたが本物が見られて感無量。
この衣裳は、アイヌ語のアットゥシがなまって厚司(あつし)とよばれている。
僕の名前もあつしなので、さらに意味もなく喜ぶ。

木喰仏。やさしい表情と、時代を経たテカテカの木肌がいい。


****


「作家の立場は難行の道だ。意識に基づくからとかく病が多い。自力の道は並大抵ではない。個人陶で古来秀でたものが少ないのはそれを語っていよう。君もよく知りぬいているように、真に美しい作物のほとんどすべては作者が知れない(柳宗悦)」 
(三谷龍二さんの本『遠くの町の手としごと』での引用からの引用)


****


民芸、手仕事、クラフト、美術、工芸、アート、工業品・・・・
モノをくくるための言葉はたくさんあるけれど、
僕が作りたいものは、どれにもとらわれず、どれにも影響を受け、どれでもある・・・。
それが、強いて言えば「イサド」にあるもの、になればいいなと思う。

「作家の立場は難行の道だ。」

さあ明日もがんばろー。

あと2日。

201109_015

銀座通いも4日目(準備入れると5日目)。
かなりヘロヘロになってきました。
ああ・・・青竹ふみがしたい。
温泉につかりたい。


写真に見える額はすべて完売してしまいました。
壁がスッカスカなので、明日は追加で
ちょっと持っていこうかな。

前半組はあと2日。
がんばろー。

直売してます。

201109_012

いよいよ始まりました。
慣れない銀座通いの日々が。

初日ということもあり、たくさんのお客様が来場されました。
写真で壁に見えているものも、既にけっこうお嫁入りしてしまいました。
自分としては、新作のお盆やお皿や額を評価してもらえたのがなんともうれしい。
それが直売の醍醐味ともいえる。

イサドは前半組ですので、20日(火)までおります。
他の出店者の方々のものも、それはそれはステキです。
ステキ過ぎてかなりキケンです。
個人的には琉球張り子さんのカルタとか・・・ツボです。

ぜひ。

マルマルモリモリ。

201108_184

ふしぎな歌が流行ってますが。

我が家のマルとモリ。


徳島・眉山の展望台にて。

自分の頭は、なんだかんだいって
かなりかたい。というか、手強い。

いろいろ新しいものを作っているようで
新しいことをいっている風で
実は何も大したことはしていない。
実に保守的なところがある。
バランス主義なところがある。
サラリーマンをすこしやってたせいか?
関係ないか。そういう性格か。

そんな自分を鼓舞する意味で
きのう花森さんの言葉を引用した。

僕は政治家ではないけれど
言葉の重みは知っている。
何度も失敗もしている。

それでも人と人は
言葉によって理解し合おうとするし

えーと、何がいいたいんだっけな。


「今度は どんなことがあっても

ぼくらは言う

困まることを はっきり言う」

そうじゃなかったのかな
イサド君?

「見よ ぼくら一銭五厘の旗」 花森安治


(前略)

さて ぼくらは もう一度

倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から

おしまげられたり ねじれたりして

錆びついている〈民主々義〉を 探しだ

してきて 錆びをおとし 部品を集め

しっかり 組みたてる

民主々義の〈民〉は 庶民の民だ

ぼくらの暮しを なによりも第一にする

ということだ

ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ

かったら 企業を倒す ということだ

ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ

かったら 政府を倒す ということだ

それが ほんとうの〈民主々義〉だ

政府が 本当であろうとなかろうと

今度また ぼくらが うじゃじゃけて

見ているだけだったら

七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ

てしまう

そうなったら 今度はもう おしまいだ

 

今度は どんなことがあっても

ぼくらは言う

困まることを はっきり言う

人間が 集まって暮すための ぎりぎり

の限界というものがある

ぼくらは 最近それを越えてしまった

それは テレビができた頃からか

新幹線が できた頃からか

電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか

とにかく 限界をこえてしまった

ひとまず その限界まで戻ろう

戻らなければ 人間全体が おしまいだ

企業よ そんなにゼニをもうけて

どうしようというのだ

なんのために 生きているのだ

 

今度こそ ぼくらは言う

困まることを 困まるとはっきり言う

葉書だ 七円だ

ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで

来るのだそうだ

よろしい 一銭五厘が今は七円だ

七円のハガキに 困まることをはっきり

書いて出す 何通でも じぶんの言葉で

はっきり書く

お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し

て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう

ぼくらは 下手でも まずい字でも

じぶんの言葉で 困まります やめて下

さい とはっきり書く

七円のハガキに 何通でも書く

 

ぽくらは ぼくらの旗を立てる

ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない

ぼくらの旗のいろは

赤ではない 黒ではない もちろん

白ではない 黄でも緑でも青でもない

ぼくらの旗は こじき旗だ

ぼろ布端布をつなぎ合せた 暮しの旗だ

ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し

台や屋根に立てる

見よ

世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ

ぼくら こんどは後へひかない

 

(「暮しの手帖」8号・第2世紀 昭和45年10月)


全文はこちらを。

高知にて・その2

201108_159

高知では「日曜市」にも行った。
当たり前のことだけど、市というのは、やっぱり
そこに住んで暮らしている人たちのものだと思った。
旅人の僕らはちょっぴりさびしい気がした。

*****


「その2」ってなってるけど、なんだかもう時間が経っちゃうと
気持が盛り上がらないなぁ・・・
「その3」は、気が向いたら・・・・???

« 2011年8月 | トップページ | 2011年10月 »

2022年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近のトラックバック

無料ブログはココログ