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製作中。

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きのう武田さんのことを「異端」だなんて書いてしまったけど、「異端」が何なのかを自分は理解しているのか、ちょっと恥ずかしくなってしまった。戒めに書き直さないでおく。武田さんは学者や教授という人種の中で見ると「変わり者」なのだろうと思うけど、言っていることは決して異端ではない。こどもの味方であり正義の味方だ。「日本人の誇り」という言葉をよく使っていたけれど、たしかに日本人が失いつつあるもの、誇れるものを取り戻そうという気概にあふれた人だ。筋が一本びしっと通っているので、言葉に迷いがなくて強い。

*****

額作りは地味な工程に突入。ウラ板のベニヤをちまちま切り、2ミリのガラスをちまちま切り、これまたちまちました金具をちまちま付ける。ちまちました自分のような人間にしかできない作業だ。これらの工程を経ても、まだ完成はしない。額は中に何かを入れて初めて完成する。その額に合うちまちました何かを見つけ出し、入れてニヤニヤするのがこれまた楽しみ(展示では中身はほとんど入れません。未完成ということ。買われた方が完成させてください!!)

真実を見るには勇気がいる。

某日草加で武田邦彦さんの講演会があるというので、仕事を早めに切り上げて聴きに行く。武田さんは学者というより噺家のような人だ。話の大半はブログに書いてあることだが、こうしてご本人を前に実際に話を聴くことは、また何かちがう現実を突きつけられている感じがした。
聴きながらメモをした。

「日本の男はセミのぬけがら。がんじがらめ」
「大人は年1ミリ(被曝)を守る」
「医学はアテにならない」
「日本は火力のみで大丈夫」
「石油・石炭はなくならない」
「こどもに仕事を残す」
「真実を見るには勇気がいる」


主催の某法人会の方々は、なんだか「社会貢献」することだけが目的になっているような、心がどこか遠くにあるような感じで残念だった。典型的な日本の(センスのないおっさん中心の)組織が異端の学者を招いている、そのなんかズレた感じが変で嫌だった。2部は聴くのがつらそうだったので、1部だけ聴いて退席した。

朝の庭。

冬は寒いので北側の庭にはあまり行かないけど。
朝は光がきれいだ。

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ゆず。
ついこの間までは緑色だったのに。

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かき。
老婆の乳房のように垂れ下がる。

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ばら。
人知れず咲いて散る。

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名古屋Analogue Lifeさんでの2人展、終了しました。
足を運んでいただいた方、どうもありがとうございました。

十数年ぶりに訪れた名古屋でしたが、街の人たちからは
相変わらずナゴヤ独特のパワーを感じました。
13日の日曜日には、午前中にすこし時間があったので
市の美術館に行ったり、大須の商店街をぶらぶらしたり
久しぶりにぽかーんとひとりの時間を満喫できました。
いろいろなつながりもできたので、またいつか名古屋で
何かできたらいいなと思っています。

脱線。

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額を作っているはずが・・・・・脱線してます。

[on the table/below the table]

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はじまりました。

Analogue Lifeのお店となっている古い日本家屋。
建物のしつらいや空気感、差し込んでくる光がすばらしくきれいです。
そして、ジョージのスツールやボウル、オブジェの迫力と存在感、木目の繊細さと手触り。
この空間でそれを体験しに来るだけでも十分価値があると思います。

そして、そんなことを言いつつも
自分の作ったものも、手にとっていただけたら
うれしいです。

光が美しい分、僕には写真に撮るのが難しいです。
こちらはAnalogue LifeのIanが撮ったもの。
さすがです。

スプーンの森から。

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とりあえず戻ってきました。

森はまだまだ奥深くて面白いけれど、
入り込めば入り込むほど迷いそう・・・。

明日からいよいよ名古屋、楽しみです。

2歳。

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もりひこ2歳になった。
前途は多難だけれど
元気に健康に育ってほしい。
ただそれだけ。
そのために僕らもがんばろうと思う。

木目の宇宙。

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木工をやっていて何が、どこが好きなのかと聞かれれば、
木目が好きなのだと答える。
これは僕に限らず、木工をやっている人は大抵そうなのではないだろうか。

削ったり、抉ることで予想もしない木目が出てきたり
オイルを塗った瞬間にパッと木目が輝いたり。
面白い木目に出逢うと思わず仕事の手をとめて
しばらく見とれてしまうことがある。ぼーっと
木目の宇宙に吸い込まれている。そういうちょっとした
喜びのために木工をやっているようなところがある。

木工は陶芸や他の工芸と違って、表現において素材そのもののウエイトがとても高い。
もちろん形やデザイン、技術が及ぼす力もあるけれど、ほとんどは素材である木や
その木目で決まってしまう部分が多いように思う。
そういう点では、運命的な部分もあるけれど、その素材を手に入れること、
その素材と出逢うことも、その人の仕事の一部であり、才能であるともいえる。

知り合いに教えてもらい、青峰重倫さんの回顧展を見に行った。
初めて知った作家ですでに亡くなられているけれど、黒柿やローズウッド、
黒檀やブビンガなどのいわゆる銘木を使った迫力のある作品に触れてきた。
その中に薄い四角形をした黒柿の銘々皿というのがあった。
僕自身も黒柿で全く同じ形のものを作ったことがあって、面白いなと思った。
黒柿はもう木の素材自体が面白いので、形は極めてシンプルに
ならざるを得ない。必然的に同じ仕事を施すことになるのだろう。

木や木目は自然のもので、それを面白がったり珍重するのは人間の仕業である。
薪や炭にしかならないとされる木がある一方で、柱一本何千万円もする木もある。
あるいは、その美しさに気が付くことがなければ、どんな木も一緒であるともいえる。

地球上から珍しい面白い木目の木がどんどん減っていって、いつしか味気のない
木目のほとんど見えない木しか残っていない状況で、果たして削ったり組み立てたりする
楽しみはあるけれど、人間は木工をやりたいと思うだろうか。

(左上から時計回りで。ヒノキのトレイ。イチョウのお盆。タモのカッティングボード。栗のカッティングボード。タモ寄せ木の鍋敷き。すべて12日からの名古屋の展示に持って行きます。)

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