堤清二さん。
堤清二さんが亡くなった。
そういえば自分の母が昔西武に勤めていたという話を思い出して、別の用事もあり、久しぶりに電話をしたら面白い話が聞けた。
母は高校卒業後の昭和31年から38年に結婚して辞めるまで西武百貨店に勤めていた。当時母は足立区保木間に住んでおり、そこから池袋まで通っていた。当時売り場を拡張していた池袋店では大幅に人員を増やす計画で、3000人の応募があったそうだ。堤さんは前年の30年に取締役店長として就任していた。衆議院議長だった父である堤康次郎が毎朝革靴をギュウギュウ言わせながら店内を見回るのとは対照的に、店長さん(堤清二のことを母はこう言う)は下を向いたまま売り場をすり抜けるように回っていた。そんな様子でも売り場のことは細かいところまで把握していたそうだ。母の就職を喜んだ母の父(僕の祖父)はいきなり店長室に行き、直接堤さんにお礼を言ったという。母はとても恥ずかしかったそうだ。母は書籍やベビー売り場にいたが、後半は望んで事務職にしてもらった。その時の職場の隣が店長室で、社員食堂では堤さんと同じテーブルになることもよくあり、堤さんは皆と同じ当時25円のラーメンを食べていた。えらぶるところの全くない人だったという。
僕は1990年にパルコに入社。堤さんは91年には代表を辞任しているので重なったのは1年だけ。もちろん堤さんは雲上の人で、直接お会いしたこともないが、配属となった宣伝部ではCI戦略会議?などで堤さんに諮る会議(当時「御前会議」とか言っていたような・・・)が近づくと、上司や先輩があたふたしていたのを思い出す。新入社員の自分は訳もわからずただ上司の書いた資料原稿をワープロ打ちしたりしていた。
最近になって回顧録などを読むごとに当時はそういうことだったのか・・・などと、判ったような気になっている。
ご冥福をお祈りします。
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きのうフェイスブックに書き込んだものですが、なんとなく「イサド通信」にも載せたくなったので、転載しました。若干加筆・修正。
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